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平成27年2月15日、13:00~14:30まで、NHK文化センター 札幌教室にて開催された。

途中休憩をはさんで、13:30頃まで椅子坐禅。その後、約30分写経をする。

つづいて、蓮昌庵老禅子の最終回の講話。今回の題は「般若(智慧)を磨く」。

始めに、人は誰でも、無数の縁に恵まれて、その人生を開花させていく。大事なのは、その恵まれた縁をどのように育み生かしていくかである。せっかくこの世にご縁を得て生まれて来ても、子供たちが虐待により死に追いやられるという記事が後を断たない。子供を虐待する男女は、自分の命の尊さも、他者の命の尊さもわからず、人間形成が未熟でよい教えにも縁がなく、自己本位の貧しい心が、悲惨な結果になってしまったのであろう。生まれて来たものは、与えられた生命を精一杯生きる事が自然のことわりである、と前置きされて本題に入られる。

1、お釈迦様の教えには、人間として如何に生きたらよいかという道しるべが説かれている。
2、お釈迦様は、「六方の礼拝に入る準備としてまず心の汚れを落とすこと」を説かれている。こころの汚れとは、「殺生、偸盗、妄語、人妻を犯す 賢者はこれを認めぬ」といわれる。
3、続いてお釈迦様は、悪事にはまる四つの心理状態を説いている。「好み、怒り、恐れ、無知によって正義を踏みにじるならば、黒分の月のように、その人の栄光は失墜する」と。
4、わが禅門でも、人間の三毒として貪・瞋・痴を戒める教えがある。貪とは貪欲の事。瞋とは、瞋恚のことで、怒り憎むこと。痴は愚痴ということ。
5、お釈迦様はこの三毒に犯されている心を「心の汚れ」と言われ、それを洗い流すことが大事であると言われている。それにはどうしたらよいのか?
6、まず、坐禅をすることである。そして、三昧になることである。坐禅は心の洗濯。坐禅は自分と徹底して向き合うことである。
7、私たちがいま写経している『般若心経』は煎じ詰めれば、心の汚れを落として「空」になりなさいと言うこと。般若心経を一言で表すとすれば、智慧の完成であり、その内実は、空の思想である。
8、般若とは、私たち凡夫にも備わっている智慧のことであるが、智慧を磨き、煩悩の此岸から悟りの彼岸へ渡りましょうという意である。「空」というのは、自己の内実を納得することで、文字に表すことは出来ないが、坐禅して坐禅三昧に入ることが空なのである。
9、空の意を歌に表した「風鈴の歌」があるが、これをよく味わうと空の意がわかる。「渾身口に似て虚空に掛かる。東西南北の風を問わず、一等に他のために般若を談ず。滴丁東丁滴丁東」
(参加者 男性2名 女性2名)

報告 慧観 拝
平成27年2月15日、13:00~14:30まで、NHK文化センター 札幌教室にて開催された。

いつものように途中休憩をはさんで、13:30頃まで椅子坐禅。その後、約30分写経。

つづいて、蓮昌庵老禅子の講話。今回の題は「段取り、真剣、尻拭い」。
私たちは、常々、師や先達から一つの仕事を成しとげるには、段取り、真剣、尻拭い、ということを心構えにせよ、と教えられていること。段取りとは、これから取りかかる仕事の計画を立てること。真剣とは、熱心に脇目もふらずその仕事に熱中すること。尻拭いとは、結末をつけ、後始末をして次の仕事に備え、善悪にかかわらず責任をとること。
この三つのことは、どんな些細な仕事においても、またどんな大きな仕事においても必要なことで、これさえ確実に実行すれば仕事に失敗することもなく、人生を誤ることもない。

ご自身の体験、棟方志功の例をあげて、この「段取り、真剣、尻拭い」について話されました。特に、志功は、事前の勉強を怠らず、板画を制作する前の構成や構図を練りに練って、何百回と下絵を重ねて、手が勝手に動くまでに下準備を重ね、板に向かったら、そこからは一気呵成、無心になって息つく間もなく、それに没頭し描き上げ彫り上げたこと。また、志功は、「華厳経」や「維摩経」を軸にして作品を作製したことを、「華厳経」「維摩経」の解説も含めて詳しく話されました。

今回は、関東に転居される蓮昌庵老禅子の紹介で、来年度よりこの講座を担当することになった了々庵老居士も見学に訪れていました。

最後にNHK文化センターのこの講座を担当されている職員の方が、来年度からの講師、了々庵老居士を紹介。老居士の簡単な挨拶で終わりました。   

(参加者 男性3名 女性4名 計7名)   

芙蓉 拝
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浦安市富岡公民館 座のすすめ出前講座

カテゴリ : 
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執筆 : 
耕雲塾 2015/2/18 8:33
冬晴れに恵まれた平成27年2月13日(金)、東京ディズニーリゾートにほど近い浦安市富岡公民館3階和室に22名(男性8名、女性14名)の参加者を集めて座禅体験の講座が開催されました。

定員20名の募集に対し、70名近い応募があり、主催者側も嬉しい悲鳴をあげ、急きょ25名に増員して対応しました。

公民館にある座布団はスポンジタイプのため、道場から90枚の座具を運び、講師は張替剣外居士と田中慈照禅子とあたりました。

講師紹介に続いて、剣外居士より「数息観と五戒」の話をしたあと、座禅の隊形となり、足の組み方、法界定印、数息観のしかたを手ほどきし、実際に座りました。1回目の静座のあと、参加者から次々と質問があり、熱心さが伝わってくる座禅講座となりました。

修了後、警策を体験したいと女性が並び、音が出るほど痛くないと感想をもらしていました。

3/1に日暮里・択木道場で開催される慧日庵玉渓老禅子の講演「自分らしさと禅2」、3/14に市川矢切・人間禅本部道場で開催される福島仁海居士の講演「幸福創造」のチラシのほか、首都圏の道場・公共施設で実施している静座会の案内を配布しました。

富岡公民館の岩崎女史の企画により、実現した今回の座禅体験をきっかけに、今後も継続して静座会が開催できるようにKUJ静座倶楽部は“座のすすめ”の普及に努めたいと考えております。





平成26年1月18日、13:00~14:30まで、ガーデンパレスホテル レストラン「四川」にて開催された。

今回は、NHKの教室ではなく、レストランで新年昼食会を行い、親睦を深めました。
当初、出席予定だった女性1名は、前日関西からの飛行機が雪のため千歳空港に着陸できず仙台泊となり、欠席されました。また、男性の方も雪のため一人は欠席、一人はJRが間引き運転となり、30分遅れての参加となりました。

秋から受講されている女性の方は、お正月休みにインドに行かれ、またそれ以外にも色々な国に旅行されているので、その話で盛り上がりました。スリランカは本当に仏教の国であること、他の国では寝ているお釈迦さまや象に乗ったお釈迦さまの像があるのに、日本にはないことなどを話されました。また、蓮昌庵老禅子も何度か訪れたことがある中国のことなども話題にのぼりました。

また、こういう機会を持ちましょう、ということで、散会しました。
 
(参加者 男性1名 女性3名 計4名)

芙蓉 拝
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平成26年12月21日、13:00~14:30まで、NHK文化センター 札幌教室にて開催された。

途中休憩をはさんで、13:30頃まで椅子坐禅。その後、約30分写経をする。
 
 夢の挑戦

夢には眠って見る夢と、覚めて見る夢があります。
今日は覚めて見る夢について。(希望や目標に向かって実現させて行く夢)
地球上にはいろいろの生物がいます。その中で夢を見たり夢に挑みそれを実現させてきたのは人間だけと言われています。人類の歴史は夢に挑んできた歴史であります。
夢を実現した人たちに共通しているのは、目の前に立ち塞がった困難を「障害物」として受けとらず、「跳躍台」としてそこを乗り越えています。
◎ノーベル平和賞を受賞した十七歳のマララ・ユスフザイさんの夢。
教育を奪われた六千六百万人の少女たちの代弁者となって、テロリストの思想や銃弾に負けず戦っていく決意
戦車を造るのに易しいのになぜ学校を建てるのが難しいのか。
全ての子供が学校に行くのを見届けるまで闘い続ける。
ノーベル賞の賞金で故郷に学校建設をする夢。
◎野球の王者、イチローの小学六年生の夢の実現。
わが禅門でも三省願文として常に唱え実行に努めていることばに
【正念の工夫断絶する莫らんことを願う】
古人は富士山が東海の天に突っ立つように、ゆったりとどっしりと、しかも凛然と坐禅すること。真剣勝負するときのように、強い心で坐らないと、坐禅が煩悩に負けてしまう。
一日一炷香の継続を強く言われています。

(参加者 男性2名 女性3名 計5名)

芙蓉 拝
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平成26年11月16日、13:00~14:30まで、NHK文化センター 札幌教室にて開催された。

途中休憩をはさんで、13:30頃まで椅子坐禅。その後、約30分写経をする。

つづいて、蓮昌庵堀井妙泉老禅子の講話。今回の題は「禅とは何か」

はじめに、手の置きどころは、その時のその人の気持ちを表していること。合掌の形は、「和やかさ」、「満ち足りたもの」、「真剣」を表しており、その3つを深く掘り下げていくと己をむなしゅうするという気持ちに統一される。それは宗教の基盤である、と話される。

宗教には、自力門(自力で己をむなしゅうする宗教)と他力門(念仏を唱えて、自分を救う宗教)があるが、今回は、自力門の禅について話をします、と本題に入られる。

1、禅は哲学でも道徳でもなく、仏教の母胎であり、大乗仏教の真髄に徹したきわめて叡智的で、実践的な宗教である。

2、数息観により三昧力が身につくと、何をやってもはかどる。どんな喧噪の中でも集中でき、子供の学習や大人の仕事に効果がある。また,目前のやらなければならないことにすぐ取り掛かれるようになる。

3、済んだことを引きずってくよくよしたり、これから先のことを思いわずらったりせず、平常心を保てるようになる。ストレスを後に残さなくなり、今をしっかり自信をもって生きることができる。

4、三昧が身についてくると人間力がついてくる。仕事の出来に大きな影響がある。

5、人間力がつくと、言行が一致する。決断力がつく。タイミングよく間髪を入れず、働ける。組織力、チームワーク力がつく。ちっぽけな自己「俺が、私が」という自我があるようではうまくいかない。己をむなしゅうして補佐役に徹することもできれば、組織の長として、柔軟性、創造力、忍耐力、持続力などをもって仕事にあたることもできる。そうすると、組織としての成果も出る。

最後に、人生は楽しいことばかりではなく、むしろ苦しいことの方が多い。楽しいこと、苦しいこと、両方を受け入れて、楽しい時は楽しい三昧、苦しい時は苦しい三昧で、それを乗り越えていくのが智慧である、と話を終えられる。

(参加者 男性1名 女性4名 計5名)

芙蓉 拝
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 平成26年10月16日(木)、14:00~15:30まで、ニッセイ柏ビル2階セミナールームにて開催されました。

 慧日庵笠倉玉溪老禅子による「観音経」の講座は、当初9月で終わらせる予定だったが、年内いっぱい続けることにしました。

 今回初めて参加された方(市川・耳順会・松戸各地域静坐会から3人)への紹介も兼ねて、テキストのはじめから3ページ⑫までを読み下し、40分ほど説明を受けました。

 続いて、写経のコツ(字の整え方)を教わり、「念彼観音力不能損一毛~釈然得解脱」まで実際に写経(30分)。

 その後、5分間の数息観を実習したのち、ブッダの言葉「スッタニパータ」7を15分くらい読んで、解説を受けました。

 このところ、ぽつぽつと新到者が見えるようになり、まさに、ひとがひとを呼ぶことを実感。

 次回来年1月からの講座の在り方を皆さんの希望を聞き取りながら固めたいと思い、時間をつくるべく講師と打ち合わせを重ねていく所存です。

(参加者 男性6名 女性5名)

竜穏 記
 平成26年10月19日、13:00~14:30まで、NHK文化センター 札幌教室にて開催された。

 今日から後期講座が始まり、新しい方(女性)が加わったので、まず座禅の仕方について説明しました。

 その後、いつものように13時半までイス座禅。つづいて、30分写経。

 今回、蓮昌庵老禅子は赤平の市民短歌大会で講演されるため、お休みでしたので、老禅子にかわって、私芙蓉が『禅』誌に掲載された老師様方の言葉を引き合いに出しながら、「動中の工夫」についてつたない話をしました。

 講座終了後、老禅子の指示に従って、教室でペットボトルのお茶とお菓子をいただきながら、しばし歓談しました。

 新しい方は、禅には興味があったのだけれど、お寺だと敷居が高くて行きにくいが、ここなら気軽な気持ちで来られるのではないかと思い申し込んだとおっしゃっていました。

 初回から参加されている女性の方は、呼吸によって気持ちがコントロールできるようになった。いやなことがあってもそれに引きずられることがなくなった、と座禅の効果を話されていました。

(参加者 女性3名)

芙蓉 拝
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 平成26年9月22日、13:00~14:30まで、NHK文化センター 札幌教室にて開催された。

 途中休憩をはさんで、13:30頃まで椅子坐禅。その後、約30分、写経をする。

 つづいて、蓮昌庵堀井妙泉老禅子の講話。今回は、『梁塵秘抄』より三つの歌、

◇鵜飼は可愛しや。万劫年経る亀殺し、また鵜の首を結ひ
現世は斯くてもありぬべし。後生我が身は如何にせん。

◇遊びをせんとや生まれけん。戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ 動がるれ

◇仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ
暁にほのかに 夢に見えたまふ
の解説をされた。

 第一歌は、鵜飼商売もかわいそうなものだ。亀の肉だけを餌にして鵜を育てアユをとる。現世はそれでもやっていけるが、殺生ばかりして後生はこれでいいのかよ。という意味。私たちは殺生しなければ生きていけない。他の命をいただいて生きている。

 第二歌は、裏に遊びや戯れをするだけのために生まれてくるのではない、という反語が含まれている。人生の辛酸を熟知した大人の歌。

 第三歌は、仏は常にいるのに、凡夫のかなしさで見ることができない。それでも暁のほのかな光の中に見える事もある。という意味。

 つづいて、いろは歌について解説。

◇色は匂へど散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山けふ越えて 浅き夢見じ酔ひもせず

 カナ47文字、重なることなく作られている。涅槃経を訳したもので、弘法大師の作と言われていたが、年号があわず、今は読み人知らず、となっている。

 色は色彩や好色ではなく、形ある現象世界、私たちの肉体はもちろんのこと、あらゆる物質のこと。今は若くて匂うように美しいけれど、年々に老い、桜花にたとえるとあっという間に散ってしまう。

 私たちの存在している世界は諸行無常。何一つ変わらないものはない。有為=人間の迷い、奥山=煩悩・妄想の世界、それを今日越える、つまり見性するということ。見性すると、浅き夢=名誉、財産などのはかないもの、に執着せず、酔って自分を見失うこともない。ありのままの世界が見える。という意味。

 最後にいろはかるたの解説をされて講話を終えられた。

(参加者 男性2名 女性3名 計5名)

芙蓉 拝
 平成26年8月17日、13:00~14:30まで、NHK文化センター 札幌教室にて開催された。

 途中休憩をはさんで、13:30頃まで椅子坐禅。その後、約30分、写経をする。

 つづいて、蓮昌庵堀井妙泉老禅子の講話。今回の題は、「自主的に生きる」

 人間の平等と人格の尊厳は古くて新しい問題である。福沢諭吉の言葉『天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず』は、身分制度に縛られていた時代に、人々に広く受け入れられた。しかし、この言葉は結論を述べたものであって、なぜ平等なのか? 何を基準に平等なのか、を説いていない。
 仏教の母体である禅は、人間の差別と平等、人格の尊厳をきわめて明快に説いている。万人の具有する仏性は、男女、老幼、貧富、国籍の区別を越えて一味平等。それと同時に、その形相と作用、個性と能力から見た場合、十人十色。現代の民主社会には、考え方のはき違いがある。平等一辺倒に偏ると、男女の区別も親子の区別もなくなる。差別に偏ると、性や身分にかかわりなく人が全て平等であるという基本を失う。

 まず、真実の自己を見つけ、その尊厳を知識ではなく身を以って把握し、自己を確立して、個々の自覚を根底に据えて、教師は教師らしく、生徒は生徒らしくすること。真実の自己を見つけるには、数息観で三昧の力を養い、真正の師家について修行し、継続して力をつけることが必要。自主的に生きるとは、何時でもどこでも自分が主人公となって、五欲七情を手足のように使って生きること。

 趙州和尚の言葉、『他は十二時に使われ、吾は十二時を使い得て妙なり』と、臨済和尚の『随所に主となれば立処みな真なり』という言葉を挙げられる。お互いの人格を尊敬してはじめて、真に仲良くなれる。まず、身近な人々に禅を広めてゆきたいと思っている、と話を終えられる。
(参加者 男性2名 女性3名 計5名)

 初回から継続されている一般の2名の方は、後期(10月~3月)も引き続き受講され、禅の理解が深まってきています。

芙蓉 拝