平成26年8月17日、13:00~14:30まで、NHK文化センター 札幌教室にて開催された。
途中休憩をはさんで、13:30頃まで椅子坐禅。その後、約30分、写経をする。
つづいて、蓮昌庵堀井妙泉老禅子の講話。今回の題は、「自主的に生きる」
人間の平等と人格の尊厳は古くて新しい問題である。福沢諭吉の言葉『天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず』は、身分制度に縛られていた時代に、人々に広く受け入れられた。しかし、この言葉は結論を述べたものであって、なぜ平等なのか? 何を基準に平等なのか、を説いていない。
仏教の母体である禅は、人間の差別と平等、人格の尊厳をきわめて明快に説いている。万人の具有する仏性は、男女、老幼、貧富、国籍の区別を越えて一味平等。それと同時に、その形相と作用、個性と能力から見た場合、十人十色。現代の民主社会には、考え方のはき違いがある。平等一辺倒に偏ると、男女の区別も親子の区別もなくなる。差別に偏ると、性や身分にかかわりなく人が全て平等であるという基本を失う。
まず、真実の自己を見つけ、その尊厳を知識ではなく身を以って把握し、自己を確立して、個々の自覚を根底に据えて、教師は教師らしく、生徒は生徒らしくすること。真実の自己を見つけるには、数息観で三昧の力を養い、真正の師家について修行し、継続して力をつけることが必要。自主的に生きるとは、何時でもどこでも自分が主人公となって、五欲七情を手足のように使って生きること。
趙州和尚の言葉、『他は十二時に使われ、吾は十二時を使い得て妙なり』と、臨済和尚の『随所に主となれば立処みな真なり』という言葉を挙げられる。お互いの人格を尊敬してはじめて、真に仲良くなれる。まず、身近な人々に禅を広めてゆきたいと思っている、と話を終えられる。
(参加者 男性2名 女性3名 計5名)
初回から継続されている一般の2名の方は、後期(10月~3月)も引き続き受講され、禅の理解が深まってきています。
芙蓉 拝