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 平成24年6月30日(土)、千葉県市川市国府台にある人間禅道場及び宏道会剣道場に於いて、NPO法人「百尺竿頭」(太極拳)の豊島要子老師と豊島理事長夫妻をはじめ、千代田教室、柏・火曜教室、柏・土曜教室の会員21名が参加し、耕雲塾(KUJ)技芸道研修パイロット事業として開催された。

 午前9時、集合時間前に入山した太極拳を愛好する男女は、みな礼儀正しく、背筋もピンとしていて、笑顔の素敵な人ばかりであった。開始まで少し時間があったので緑蔭の山内を散策した。

 午前10時開会、道場長より挨拶。坐禅を指導する人間禅の居士禅者より人間禅の紹介と坐禅の仕方を教わったあと、さっそく自分の息を静かに数える数息観に挑戦した。
 坐禅体験は初めて、というかたが多かったわりに、本格的な太極拳の指導を受けているだけあって、みな姿勢も崩れることなく、20分×2回を坐りきった。
 膝が痛いひとには、無理せずイス坐禅をすすめた。




前列左が豊島要子老師、右が豊島理事長

 坐禅を終えた参加者は、禅堂の作法どおりに私語をかわすことも音をたてることもなく昼食をいただいたあと、剣道場に移動し、午後1時より太極拳の稽古をおこなった。







 少年時代から剣道を修行している道場長と豊島老師は意気投合し、
途中休憩をはさんで豊島老師が陳式剣を披露され、その返礼の意味をこめて道場長側が小野派一刀流の組太刀を演武した。
 太極拳と共通するところがたくさんあって、参考に供したようだ。

 午後3時半稽古終了。さわやかな汗を流した一行は、文字どおり身も心もすっきりした表情を浮かべて帰途につく姿が印象的だった。

 参加者からは
「警策の音に心が乱れた」
「普段は会話をしながら食事をするので黙って済ますのはちょっとつらかった」
 などの感想が寄せられた。

 豊島老師からは「1日の出来事でこれほどの感動を味わったのは久しぶり。このような企画が今後またできるようなら、他の教室のかたにも紹介したい」との嬉しいメールをいただいた。

 これを糧に、今後も反省点を工夫・修正しながら事業を推進してまいりたいと存じます。
 ご協力してくださった人間禅京葉道場のスタッフに御礼申し上げます。

ニッセイ船橋 遺教経 第3回講座

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執筆 : 
耕雲塾 2013/6/22 14:00
平成24年6月21日(木)10時半~12時まで、
ニッセイ・ライフプラザ船橋にて「遺教経 第3回講座」
無料セミナーが開催され、17名が受講した。


講師の笠倉奈都先生

お釈迦さまが亡くなるとき、遺した最後の教え
「仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)」
通称「遺教経(ゆいぎょうきょう)」のやすらぎ法話をされた。

以下、原文と解説文を記載する。
 
・身を節し時に食して、清浄にして自活せよ。世事に参預し、使命を通知し、呪術し、仙薬し、好(よし)みは貴人に結び、親厚媟慢(せつまん)することを得ざれ。皆、作(さ)に応ぜず。当に自ら端心正念にして度を求むべし。
 
*正しく生きるためには、欲を節制し身を慎み、時間に従って食事をし、心身を清浄にして他に頼らず自分で生活をせよ。世間の俗事に関わったり、権力者の命令で動いたり、占い呪いをしたり、不老長寿などという薬に夢中になったり、貴族などに近づき、得意になってなれなれしくしたり、その関係を自慢したりしてはならない。みな修行者にふさわしくない。常に心を正しく持ち悟りを求めることに一心になるべきである。
 
・節制……欲望に溺れて度を越すことのないように。欲望はエスカレートする。
・清浄に生活せよ……初期仏教では財産所有は禁止だったが、後に多数が托鉢すると住民に負担がかかりすぎる場合もあり、中国唐時代の僧、百丈懐海禅師が「百丈清規」を定め、自給自足の労働を作務(さむ)と名付けた。上下の区別なと仏の務めをなす行為。清浄にして自活、の考え方。
・正念……サイの角のように歩め。
・道元禅師は北条時頼から永平寺への土地の寄進を申し出られたが断った。しかし弟子が寄進状を持って帰ってきて人々に得意げに吹聴するのを聞き、追放しその弟子の坐っていた禅堂の床まで切り取ったと伝えられている。「この喜悦、きたなし」。名利に近づくことを固く戒めた。
 
・瑕疵(けし)を苞蔵し、異を顕し衆を惑わすことを得ざれ。四供養に於いて量を知り足ることを知るべし。趣(わず)かに供事(くじ)を得て蓄積(ちくしゃく)すべからず、此れ即ち略して持戒の相を説く。
 
*自分の過ちや罪を包み隠し、奇跡や神秘的なことを言って人を惑わすようなことをしてはいけない。四供養においては適量を知り、足ることを知るべきである。少しでも供養してもらったものをためておくようなことをしてはいけない。これで持戒の在り方を略説した。
 
・四供養……修行者の受ける供養。衣・食・寝具・医薬。供養とは原語では敬意を持って懇ろにもてなしたり金品を捧げること。奉仕にあたる。
ある日、仏陀の説法を聞きに熱心な信者であるコーサラ国王パセナーティがやってきた。美食で肥満した国王は身体を揺るがせながらかけつけた。その姿を微笑んで見ていた釈迦は彼のために
「人はみずから懸念して(心にかけて)して、量を知って食をとるべし
 そうすれば苦しみ少なく老いること遅かるべし」
と説いた。王はすぐにうなづき家来の少年に命じた。「おまえは今釈尊がお説きになった詩を暗記して私の食事時に必ず唱えよ。」
毎回その詩を聞きながら食事した王は痩せて健康体になり美しい容貌になった。そこで釈迦のいる方向に向かって歓喜の礼を述べた。「世尊はふたつの利益を私に恵みたもうた。ひとつは現世の、ふたつは未来の利益を」。
*量を知る
……中道の教え……釈迦は6年の苦行の末、禅定によって悟りを得たが、最初に中道を悟ったと言われている。相対する極端な考え方に囚われず偏らない教え。
中は命中の中。たとえば善悪・好悪など。苦・楽のふたつを二受(にじゅ)といい、「有る」とか「無い」という見解を二辺(にへん)というが、そのどちらにも囚われない、偏らない立場。
・今昔物語(平安後期)「苦楽の二道を離れて中道の行に随いて、今菩提を成ずることを得たり」
人間の欲望を否定しているのでなく、欲望から生まれる貪りや執着が苦の元であるとしている。量を知れ、の意。
四供養の中の飯供養では、食器を応量器といって大きさも各自それぞれで食事量も各自の適量をとる例もある。衣服・寝具・医薬も同じ発想でいただくべきである。
応量とは身分や能力などにも適応される。自戒が必要。……足ることを知る。
〈知足〉
吾唯知足……京都竜安寺の石庭の手水鉢。唯、とは直の意、まっすぐ。まっすぐに受け止めるべきである、の意。
・ギリシャの七賢ソロン「足るを知る者は真の富者、貪欲なる者は真の貧者」
・老子「知足とは満足すべき限度や自分の本分を理解すること。余分な望みを持たないこと」
余分を持つこと、ケチになること、どちらも欲望と執着。どちらにも囚われない中道の悟り。
・趣かに供事を得て蓄積すべし……わずかにとは最小の必要量。余分に蓄えておこうという気持ちは卑しい。
僧が行脚に出る時、余分なお金は一切持たないが、途中で死ぬと片付けに迷惑をかけるので涅槃金を懐に巻いていた。
 
・戒は是れ正順解脱(しょうじゅんげだつ)の本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因すれば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得(う)。
 
*であるから戒を守ることが仏法に正しく順い解脱する本なのである。ゆえにこれを波羅提木叉(戒)と名付けた。この教えを守って修行すればもろもろの禅定や苦を滅する(原語の意味では、せき止める、制止する……調える)智慧が生まれてくるであろう。
 
……持戒により禅定(ゼロであること)も得られ解脱できる。涅槃に行ける。彼岸へ到る。
……「調える」、打ち勝つ、身を制する。釈迦はよくこの言葉を使った。
*戒などの修行を、釈尊自身が否定した難行苦行と解するのでなく、調える、と観るべき。
 
・是の故に比丘、当に浄戒を持(たも)って毀欠(きけつ)せしめること勿(なか)るべし。若し人、能く浄戒を持すれば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳皆生ずることを得ず。是れを以て当に知るべし。戒は第一安穏功徳(あんのんくどく)の所住処たるを。
 
*であるから修行者は浄らかな戒を保って戒を破ったりしないようにせよ。もし皆が浄戒を守り実践するならば、必ず善法(禅定と智慧)が得られる。しかし浄戒を守らなければ功徳を得ることはないだろう。戒は安らぎと功徳を得られる心のあり方の第一であるということを知らなければならない。
 
……煩悩をなくすのではなく、戒に沿って調える。無くならないものをなくそうとするのはさらに煩悩を助長するだけである。戒を本に浄らかでいるよう修行する気持ちが菩提につながる。
 
・汝等比丘、已に能く戒を住す。当に五根を制すべし。放逸にして五欲に入らしむること勿れ。譬えば放牛の人、杖を執って之を視せしめて、縦逸に人の苗稼を犯さしめざるが如し。
 
*弟子たちよ、すでに戒に住することができたであろう。まさに五根(眼・耳・鼻・舌・身)を調えなければならない。なるがままにほおっておいて五欲(五根に対応して……色欲・声欲・香欲・味欲・触欲の感覚的欲望)に支配されてはいけない。たとえば牛飼がいつも杖を牛に見せて勝手に人の田畑に入って作物を荒らさないようにするように、五欲を制さなければならない。
 
……「般若心経」に「色即是空 空即是色 受想行識亦復如是……無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法」とある。

次回は、7月19日(木)開催予定。
開催日時 2012年07月19日(木) 10:30~12:00 開催場所 ニッセイ・ライフプラザ船橋  船橋市湊町2丁目1-1、ニッセイ船橋ビル1F
(JR船橋駅南口から徒歩10分、京成船橋駅から徒歩8分) 講師 笠倉 奈都 氏
禅書道教室主宰 禅歴(円覚寺系)30年 内容 坐禅と写経とやすらぎのお話
いすに座ったままでできる坐禅と、「遺教経」の内容を、禅歴30年の経験豊富な講師が初心者にもわかるようにやさしく解説します。
日常を離れ、ほっと心にしみる安らぎのひとときを過ごせる講座です。
持ち物:鉛筆・ボールペン・筆ペン等々、筆記用具なら何でも可。 お申込み・お問い合わせ先 0120-86-2127
ご契約の有無に関わらず、ご参加いただけますので、ぜひ一度ご来店下さい。
皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
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擇木道場や人間禅道場にも見えられているyukioninaiteさんのブログ「雪を担いて井を埋む」に
笠倉奈都氏が講師をつとめるニッセイ・ライフプラザ錦糸町での「イス坐禅と写経」セミナー(6月19日、火曜日)の模様が詳しくレポートされております。
平日の昼間ということで、勤務の都合上、聴きたくても聴けないという人のために
ご本人の承諾を得て、ここにリンクして紹介させていただきます。

http://ameblo.jp/yukioninaite/entry-11281719780.html

yukioninaiteさんに感謝!
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ニッセイ船橋 遺教経 第2回講座

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耕雲塾 2013/6/7 9:00
平成24年5月17日(木)10時半~12時まで、
ニッセイ・ライフプラザ船橋にて「遺教経 第2回講座」
無料セミナーが開催され、22名が受講した。


講師の笠倉奈都先生
 
お釈迦さまが亡くなるとき、遺した最後の教え
「仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)」
通称「遺教経(ゆいぎょうきょう)」のやすらぎ法話をされた。
 
以下、原文と解説文を記載する。
 
〈五戒〉……仏教において在家の信者が守るべき基本的な五つの戒のこと。

1 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物を殺してはいけない。
2 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 他人のものを盗んではいけない。
3 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 自分の妻(夫)以外と交わってはいけない。
4 不妄語戒(ふもうごかい)   うそをついてはいけない。
5 不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではいけない。

1* 高浜虚子・・・蜘蛛に生まれ網をかけねばならぬかな

仏教には人間は万物の霊長という発想はない。山川草木悉皆成仏、一味平等。
心に痛みを感じながら反省と感謝をする。

・達磨大師「断滅の見を生ぜざるを不殺生戒となづく」

2*物だけでなく、他人の心や時間など。行為を無にしたり態度や言葉など。

人間はどんなに注意しても奪ったり盗んだりの迷惑をかけなければ生きられないという「業」がある存在であることが前提。だからこその「布施」の重要性。進んで他のために尽くそうという気持ち。

・達磨大師「不可得の法の中において可得の見をなさざるを不偸盗戒と名づく」

・相田みつを「どんな大事なものでも荷物はみんな捨ててください。自分のからだも捨てるんですよ 三途の川の番人」

・自分の物、我が物(可得の見)は何ひとつない、と気づくのが不偸盗戒。生まれたままの自分らしさ。

3*達磨大師「無著の法の中において愛着の見を生ざぜるを名づけて不邪淫戒となす」

本能を否定するのではなく、愛着し執着することを戒めている。愛欲、名誉欲、信仰であっても淫することは邪淫である。

4*釈迦は、たとえ真実でも他を不愉快にすることは言ってはならない、人を楽しませるからと嘘を言ってはならない、と注意している。

*和顔愛語・・・布施のひとつ
*空也上人「諸法実相と聞くときは峰の嵐も法の声」
*二宮尊徳「声もなく香もなく常に天地は書かざる経をくり返しつつ」

・達磨大師「一字を説かざるを名づけて不妄語戒と名づく」

5酔い乱れない。 

・達磨大師「無明を生ぜざるを名づけて不飲酒戒とす」

一切の煩悩の原因である無明を酒の酔いになぞらえている。酒に害があるのではなく飲む態度に問題あり。
法然上人はこの事を聞かれ、飲まなくてもよいとは思うが、これも世の習いでしょう、と答えている。
・・・仏教は人間の生きるべき道を明らかにしたもの、これを法(ダルマ)という。戒が最初に来たことを思うべき。

・浄戒を持(たも)たん者は、販売(ほんまい)貿易(むやく)し、田宅(でんたく)を安置し、人民(にんみん)奴婢(ぬひ)畜生(ちくしょう)を畜養することを得ざれ。

一切の種殖(しゅじき)及び諸の財宝、皆当に遠離(おんり)すること火坑(かきょう)を避くるが如くすべし。草木を斬伐し、土を墾し、地を掘り、湯薬を合和し、吉凶(きっく)を占相し、星宿(しょうしゅく)を仰観し、盈虚(ようこ)を推歩し、暦数算計することを得ざれ。皆応ぜざるを所なり。

*浄(きよ)らかな戒を保つ人は、商売をしたり田畑を所有したり、人を所有したり、奴婢や家畜を持ってはいけない。一切種を蒔いたり植林したり、財産や宝を持ってはいけない。まさに火の穴から身を守るようにこれらを遠ざけよ。草木を伐採し、土を耕し、地を掘る農作業も、薬の調合をして自然にまかせず命をながらえようとしたり、吉凶を占ったり星占いをしたり、月の満ち欠けで予想をたてたり、暦で占いもしてはいけない。これらは皆仏道に帰依する修行者としてはふさわしいものではないからである。

・初期仏教では修行者や僧伽では私有財産を持つことは禁止されていた。欲望をかきたてるものから離れ、執着を断つため何も持たないことを徹底する。

・釈迦は神秘的なことは禁止した。自分も人も惑わす。

臨終の時、沙羅の林の中で横になっていた時、時ならぬ沙羅の花が咲き、弟子が驚いたが、「そのようなことで心を動かすな、修行を続けよ」と戒めている。

・親鸞聖人も、占いなどで生活の制約を受けることを固く戒めている。

「かなしきかなや道俗(出家・在家)の 良時吉日えらばしめ 天神地祇(天地の神)をあがめつつ 卜占(ぼくせん)祭祀つとめとす」

・財産所有、生産活動による欲や執着を離れ、托鉢をおこなう。施しは財施、僧側は仏法を説く法施。お互い清浄な修行。

 月喩経というお経のなかに托鉢するときの心得に“月の光のように立て”という教えがあるそうな。月の光は平等に、しかも障子を開ければサーッと射す。同様に一点の曇りなく相手と対することができるか。剣の道に通じる教えだと感じた。

次回は、6月21日(木)10時30分~12時、ニッセイ・ライフプラザ船橋。
 
ニッセイセミナーのご案内・参加申し込みは、以下のリンク先をクリックしてください。
http://www.nissay.co.jp/okofficial/transactions/kfecdirect._ZRF0090_pso005#anc3
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ニッセイ船橋 遺教経 第1回講座

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耕雲塾 2013/4/20 10:00
平成24年4月19日(木)10時半~12時まで、
ニッセイ・ライフプラザ船橋にて「遺教経 第1回講座」
無料セミナーが開催され、15名が受講した。
 

講師の笠倉奈都先生

お釈迦さまが亡くなるとき、遺した最後の教え
「仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)」
通称「遺教経(ゆいぎょうきょう)」のやすらぎ法話をされた。
 
以下、原文と解説文を記載する。
 
・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、初めに法輪(ほうりん)を転じて阿若憍陳如(あんにゃきょうじんにょ)を度し、最後の説法に須跋陀羅(しゅばつだら)を度したもう。
 
*釈迦は、悟りを開かれて、最初の説法で阿若憍陳如を済度し、最後の説法で須跋陀羅を済度された。
 
・転法輪……釈迦が法を説くこと。
・度す……渡す。渡る。此岸から彼岸へ。
・阿若憍陳如……若き釈迦、ゴータマ・シッダルタが出家して苦行に入ったのを知った父王がガード役に任命した5人の友人の1人。
 
釈迦は最初ガヤーの苦行林で6年間、烈しい苦行をしたが、苦行は解脱の道でないと知り、ガヤーを出て水浴しスジャータの乳粥(ちちがゆ)を食べた。それを見た5人はゴータマが堕落したと見捨てて、遠い鹿野苑(ろくやおん)の苦行林へ行き修行を続けた。
 
ゴータマは菩提樹の下で坐禅をし、49日目、紀元前428年12月8日、明の明星を見た機会に悟りを開いた。35歳。
 
悟りを開いた釈迦は5人に伝えたいと250キロを10日で歩き鹿野苑へ行く。最初冷ややかだった5人は徐々に内容に触れ心が動き始め、特に憍陳如は深く理解した。それを見た釈迦が「アンニャ(知り終わった)、コンダンニャ(憍陳如)」と言った。釈迦の説法の最初が憍陳如であることから、この言葉が書かれている。
 
後に釈迦滅後の経典第一結集の際、阿難が鹿野苑での説法を誦えた時、阿若憍陳如は「この教えは実に私のために説かれたものだった。私の迷いの血を乾かし涙の海を尽くした。」と 摩訶迦葉尊者に語り地に倒れ周囲に助け起こされた、と伝わっている。
 
*須跋陀羅……バラモンの哲学者。釈迦が死の床にあるとき教えを乞いに来た。侍者の阿難は断るが釈迦は「私は法を説くものである。病をためらうことはない」と病床に招き入れた。須跋陀羅は当時120歳であったといわれ、教えに感激しその場で亡くなった。(孔子「朝に道を聞けば夕に死すとも可なり」)。釈迦最後の弟子であるところからこの言葉が記されている。
 
・応に度すべき所の者は皆已度し訖(おわ)って、沙羅双樹の間に於いて、将(まさ)に涅槃に入りたまわんとす。この時、中夜(ちゅうや)、寂然(じゃくねん)として声無し、諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。
 
*釈迦は救うべき者は皆救い終わった、と沙羅双樹の間で、今まさに涅槃にお入りになられようとしていた。このとき、真夜中で寂然として静まりかえっていた。釈迦は多くの弟子のために仏法の大切なところをお説きになった。
 
・沙羅双樹は釈迦の死を悼み枯れて葉が白くなり鶴のように見えたので「鶴林(かくりん)」の名が生まれた。
・涅槃……ニネバーナの音訳。煩悩の火を吹き消す、の意。悟り。転じて釈迦の死、大般涅槃。
・中夜……午後10時から午前2時。
 
・汝等(なんだち)比丘(びく)、我が滅後に於いて当に波羅提木叉(はらだいもくしゃ)を尊重(そんじゅう)し珍敬(ちんぎょう)すべし。闇(あん)に明(みょう)に遇い、貧人の宝を得るが如し。当に知るべし、此れは即ち是れ汝等が大師なり。若し我れ世に住するとも此れに異なること無けん。
 
*修行者たちよ、私が亡くなった後は、波羅提木叉(戒)を私だと思って大切にしなさい。それは暗闇で光に遭ったように、貧しい人が宝を得るようなものである。よく知っておきなさい。戒律はあなたたちの大師である。もし私が死なずにこの世にあったとしても、戒律を守ることが大師であることに変わりはない。
 
・汝等……とあっても、読書とは違い、自分に語られている、と自分に引き寄せて読む姿勢が大切。
・仏道修行には、戒学・定学(坐禅)・慧学の3つがある。戒はいましめ、きまり、つつしむ、おしえ、等の意がある。悪いことはやめてよいことをする、と自分を戒め、きまりを守り、自分をつつしんで仏道に従う。「諸々の悪をなさず、すべての善を行い、我が心を清む、これ諸仏の教えなり(七仏通戒偈)」
 
ほっと心にしみる講師の法話に、涙を浮かべながらじっと聴き入る参加者の姿が印象的だった。
 
次回は、5月17日(木)10時30分~12時。
 
ニッセイセミナーのご案内・参加申し込みは、以下のリンク先をクリックしてください。
https://www.nissay.co.jp/okofficial/transactions/kfecdirect._ZRF0090_pso005#anc3


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錦糸町~はじめての写経といす坐禅

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耕雲塾 2013/3/20 10:00
3月19日(月)14時~15時半まで、錦糸町駅前にある
ニッセイ・ライフプラザ錦糸町(東京トラフィック錦糸町ビル3Fセミナールーム)で
「はじめての写経といす坐禅」の無料セミナーが開催された。
 
当日参加されたyukioninaiteさんのリポートをもとに
概況を報告させていただきます。
 
今回で「般若心経」が最終回。ということで
講師の笠倉奈都女史からひとことずつ感想を聞かれると、
参加した男性が講師の先生を「魅力菩薩に出会えて幸せだ」と言ったそうな。
観音菩薩→弥勒菩薩→魅力菩薩
やるもんですねぇ。うまいですねぇ
 
また、講師から感想を尋ねられ、お顔を見たとき、
yukioninaiteさんも講師に「慈眼」というのを感じたそうです
 
これらの感想からも、いかに素晴らしいセミナーか、わかりますよねぇ
 
次回は、4月17日(火)14時~15時半、無料で参加できます。
4月からは「観音経」の解説が聞けます。
「念彼観音力」のわかりやすい解説のあと、
息を数えること以外、考えないことで心の鏡を磨く時間、
ぜひみなさんにもおススメします
 
お申し込み・詳細は以下のリンク先をクリックしてみてくださいね。
https://www.nissay.co.jp/okofficial/transactions/kfecdirect._ZRF0090_pso001?i_plaza_cd=986
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船橋~いす坐禅と観音経の話

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耕雲塾 2013/3/16 8:00
晴天に恵まれた3月15日(木)10時半~12時まで、
ニッセイ・ライフプラザ船橋にて「いす坐禅と観音経の話」
無料セミナーが開催されました。



ブログ 玉渓禅子が行く!
http://zensyodo.ningenzen.jp/
 
講師は笠倉奈都先生(「禅書道教室」主宰)。
毎月1回、「観音経」を丁寧にわかりやすく解説を試みてきたが、
今回はそのまとめとして、全体を通読して内容を味わった。
 
受講生は船橋周辺にお住まいの主婦が多く、
熱心に通い続ける女性のひとりが自宅で清書してきた作品を
持参されて、先生に講評をいただいていた。



ニッセイでは、船橋のほか、
大宮、柏、錦糸町、千葉などのライフプラザで
同様の「坐禅と写経の会」関連の
無料セミナーを開催しています。

次回は4月19日(木)10時半~12時、
ニッセイ・ライフプラザ船橋にて。
次回より「遺教経」に学びます。
申し込みは、下記のリンク先まで。

ニッセイ無料セミナーのご案内
https://www.nissay.co.jp/okofficial/transactions/kfecdirect._ZRF0090_pso005
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『紅葉狩り』

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耕雲塾 2012/12/6 19:23
平成24年12月2日(日曜日)京葉支部 市川道場に於いて
『紅葉狩り』が開催されました。
お天気にも恵まれ、美しい紅葉が舞う中、静坐禅体験、投句、お茶、コンサートなどなど、来られた皆様には楽しんでいただけた様子でした。関係者一同もとても喜んでおります。参加人数は89名を数えました。おうどんが足りなくなり、終わりの方々はお蕎麦にになってしまいましたが、ごめんなさい。


午前10:45~ 静坐体験 本堂に於いて 33名(11名会員スタッフ)の参加。
          竜穏さんの説明にも熱が入り、参加者も真剣!
          10分、15分と2回坐りました。
なかなか、足を組んで三角形を作るのが難しい・・。膝が畳に付かないのですよね・・。
私もそうでした。

外の景色は・・・。美しすぎる・・。


お昼は、暖かいおうどんをお庭にて頂きました。
紅葉、にんじん、ちくわのてんぷらをお好みでトッピング♪美味しいね!
 

午後は 1:30~ 2:30~ 2部制でコンサート
プレミューローズ♪ フルート、マリンバ、キーボードのコンサートが本堂にて行われました。

『元気の出る癒しの音楽』をお届けすることをモットーに活動しているオリジナルサウンドユニット。プログラムは コスマの枯葉、サティーのジュ・トゥ・ブ 、埴生の宿、等、最後は紅葉を会場の皆様とご唱和致しました。。
その間、午後1時より、山の上「洗心庵」に於いてお茶席が設けられ、美味しいお菓子とお抹茶をいただきながら 紅葉鑑賞・・・。
秋の美しい禅道場の空気をいっぱい味わいました。

露香さん撮影

知韻heart