平成26年9月22日、13:00~14:30まで、NHK文化センター 札幌教室にて開催された。
途中休憩をはさんで、13:30頃まで椅子坐禅。その後、約30分、写経をする。
つづいて、蓮昌庵堀井妙泉老禅子の講話。今回は、『梁塵秘抄』より三つの歌、
◇鵜飼は可愛しや。万劫年経る亀殺し、また鵜の首を結ひ
現世は斯くてもありぬべし。後生我が身は如何にせん。
◇遊びをせんとや生まれけん。戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ 動がるれ
◇仏は常に在せども 現ならぬぞあはれなる 人の音せぬ
暁にほのかに 夢に見えたまふ
の解説をされた。
第一歌は、鵜飼商売もかわいそうなものだ。亀の肉だけを餌にして鵜を育てアユをとる。現世はそれでもやっていけるが、殺生ばかりして後生はこれでいいのかよ。という意味。私たちは殺生しなければ生きていけない。他の命をいただいて生きている。
第二歌は、裏に遊びや戯れをするだけのために生まれてくるのではない、という反語が含まれている。人生の辛酸を熟知した大人の歌。
第三歌は、仏は常にいるのに、凡夫のかなしさで見ることができない。それでも暁のほのかな光の中に見える事もある。という意味。
つづいて、いろは歌について解説。
◇色は匂へど散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山けふ越えて 浅き夢見じ酔ひもせず
カナ47文字、重なることなく作られている。涅槃経を訳したもので、弘法大師の作と言われていたが、年号があわず、今は読み人知らず、となっている。
色は色彩や好色ではなく、形ある現象世界、私たちの肉体はもちろんのこと、あらゆる物質のこと。今は若くて匂うように美しいけれど、年々に老い、桜花にたとえるとあっという間に散ってしまう。
私たちの存在している世界は諸行無常。何一つ変わらないものはない。有為=人間の迷い、奥山=煩悩・妄想の世界、それを今日越える、つまり見性するということ。見性すると、浅き夢=名誉、財産などのはかないもの、に執着せず、酔って自分を見失うこともない。ありのままの世界が見える。という意味。
最後にいろはかるたの解説をされて講話を終えられた。
(参加者 男性2名 女性3名 計5名)
芙蓉 拝