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ニッセイ船橋 遺教経 第3回講座

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ニッセイ船橋 遺教経 第3回講座

カテゴリ : 
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執筆 : 
耕雲塾 2013/6/22 14:00
平成24年6月21日(木)10時半~12時まで、
ニッセイ・ライフプラザ船橋にて「遺教経 第3回講座」
無料セミナーが開催され、17名が受講した。


講師の笠倉奈都先生

お釈迦さまが亡くなるとき、遺した最後の教え
「仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)」
通称「遺教経(ゆいぎょうきょう)」のやすらぎ法話をされた。

以下、原文と解説文を記載する。
 
・身を節し時に食して、清浄にして自活せよ。世事に参預し、使命を通知し、呪術し、仙薬し、好(よし)みは貴人に結び、親厚媟慢(せつまん)することを得ざれ。皆、作(さ)に応ぜず。当に自ら端心正念にして度を求むべし。
 
*正しく生きるためには、欲を節制し身を慎み、時間に従って食事をし、心身を清浄にして他に頼らず自分で生活をせよ。世間の俗事に関わったり、権力者の命令で動いたり、占い呪いをしたり、不老長寿などという薬に夢中になったり、貴族などに近づき、得意になってなれなれしくしたり、その関係を自慢したりしてはならない。みな修行者にふさわしくない。常に心を正しく持ち悟りを求めることに一心になるべきである。
 
・節制……欲望に溺れて度を越すことのないように。欲望はエスカレートする。
・清浄に生活せよ……初期仏教では財産所有は禁止だったが、後に多数が托鉢すると住民に負担がかかりすぎる場合もあり、中国唐時代の僧、百丈懐海禅師が「百丈清規」を定め、自給自足の労働を作務(さむ)と名付けた。上下の区別なと仏の務めをなす行為。清浄にして自活、の考え方。
・正念……サイの角のように歩め。
・道元禅師は北条時頼から永平寺への土地の寄進を申し出られたが断った。しかし弟子が寄進状を持って帰ってきて人々に得意げに吹聴するのを聞き、追放しその弟子の坐っていた禅堂の床まで切り取ったと伝えられている。「この喜悦、きたなし」。名利に近づくことを固く戒めた。
 
・瑕疵(けし)を苞蔵し、異を顕し衆を惑わすことを得ざれ。四供養に於いて量を知り足ることを知るべし。趣(わず)かに供事(くじ)を得て蓄積(ちくしゃく)すべからず、此れ即ち略して持戒の相を説く。
 
*自分の過ちや罪を包み隠し、奇跡や神秘的なことを言って人を惑わすようなことをしてはいけない。四供養においては適量を知り、足ることを知るべきである。少しでも供養してもらったものをためておくようなことをしてはいけない。これで持戒の在り方を略説した。
 
・四供養……修行者の受ける供養。衣・食・寝具・医薬。供養とは原語では敬意を持って懇ろにもてなしたり金品を捧げること。奉仕にあたる。
ある日、仏陀の説法を聞きに熱心な信者であるコーサラ国王パセナーティがやってきた。美食で肥満した国王は身体を揺るがせながらかけつけた。その姿を微笑んで見ていた釈迦は彼のために
「人はみずから懸念して(心にかけて)して、量を知って食をとるべし
 そうすれば苦しみ少なく老いること遅かるべし」
と説いた。王はすぐにうなづき家来の少年に命じた。「おまえは今釈尊がお説きになった詩を暗記して私の食事時に必ず唱えよ。」
毎回その詩を聞きながら食事した王は痩せて健康体になり美しい容貌になった。そこで釈迦のいる方向に向かって歓喜の礼を述べた。「世尊はふたつの利益を私に恵みたもうた。ひとつは現世の、ふたつは未来の利益を」。
*量を知る
……中道の教え……釈迦は6年の苦行の末、禅定によって悟りを得たが、最初に中道を悟ったと言われている。相対する極端な考え方に囚われず偏らない教え。
中は命中の中。たとえば善悪・好悪など。苦・楽のふたつを二受(にじゅ)といい、「有る」とか「無い」という見解を二辺(にへん)というが、そのどちらにも囚われない、偏らない立場。
・今昔物語(平安後期)「苦楽の二道を離れて中道の行に随いて、今菩提を成ずることを得たり」
人間の欲望を否定しているのでなく、欲望から生まれる貪りや執着が苦の元であるとしている。量を知れ、の意。
四供養の中の飯供養では、食器を応量器といって大きさも各自それぞれで食事量も各自の適量をとる例もある。衣服・寝具・医薬も同じ発想でいただくべきである。
応量とは身分や能力などにも適応される。自戒が必要。……足ることを知る。
〈知足〉
吾唯知足……京都竜安寺の石庭の手水鉢。唯、とは直の意、まっすぐ。まっすぐに受け止めるべきである、の意。
・ギリシャの七賢ソロン「足るを知る者は真の富者、貪欲なる者は真の貧者」
・老子「知足とは満足すべき限度や自分の本分を理解すること。余分な望みを持たないこと」
余分を持つこと、ケチになること、どちらも欲望と執着。どちらにも囚われない中道の悟り。
・趣かに供事を得て蓄積すべし……わずかにとは最小の必要量。余分に蓄えておこうという気持ちは卑しい。
僧が行脚に出る時、余分なお金は一切持たないが、途中で死ぬと片付けに迷惑をかけるので涅槃金を懐に巻いていた。
 
・戒は是れ正順解脱(しょうじゅんげだつ)の本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因すれば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得(う)。
 
*であるから戒を守ることが仏法に正しく順い解脱する本なのである。ゆえにこれを波羅提木叉(戒)と名付けた。この教えを守って修行すればもろもろの禅定や苦を滅する(原語の意味では、せき止める、制止する……調える)智慧が生まれてくるであろう。
 
……持戒により禅定(ゼロであること)も得られ解脱できる。涅槃に行ける。彼岸へ到る。
……「調える」、打ち勝つ、身を制する。釈迦はよくこの言葉を使った。
*戒などの修行を、釈尊自身が否定した難行苦行と解するのでなく、調える、と観るべき。
 
・是の故に比丘、当に浄戒を持(たも)って毀欠(きけつ)せしめること勿(なか)るべし。若し人、能く浄戒を持すれば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳皆生ずることを得ず。是れを以て当に知るべし。戒は第一安穏功徳(あんのんくどく)の所住処たるを。
 
*であるから修行者は浄らかな戒を保って戒を破ったりしないようにせよ。もし皆が浄戒を守り実践するならば、必ず善法(禅定と智慧)が得られる。しかし浄戒を守らなければ功徳を得ることはないだろう。戒は安らぎと功徳を得られる心のあり方の第一であるということを知らなければならない。
 
……煩悩をなくすのではなく、戒に沿って調える。無くならないものをなくそうとするのはさらに煩悩を助長するだけである。戒を本に浄らかでいるよう修行する気持ちが菩提につながる。
 
・汝等比丘、已に能く戒を住す。当に五根を制すべし。放逸にして五欲に入らしむること勿れ。譬えば放牛の人、杖を執って之を視せしめて、縦逸に人の苗稼を犯さしめざるが如し。
 
*弟子たちよ、すでに戒に住することができたであろう。まさに五根(眼・耳・鼻・舌・身)を調えなければならない。なるがままにほおっておいて五欲(五根に対応して……色欲・声欲・香欲・味欲・触欲の感覚的欲望)に支配されてはいけない。たとえば牛飼がいつも杖を牛に見せて勝手に人の田畑に入って作物を荒らさないようにするように、五欲を制さなければならない。
 
……「般若心経」に「色即是空 空即是色 受想行識亦復如是……無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法」とある。

次回は、7月19日(木)開催予定。
開催日時 2012年07月19日(木) 10:30~12:00 開催場所 ニッセイ・ライフプラザ船橋  船橋市湊町2丁目1-1、ニッセイ船橋ビル1F
(JR船橋駅南口から徒歩10分、京成船橋駅から徒歩8分) 講師 笠倉 奈都 氏
禅書道教室主宰 禅歴(円覚寺系)30年 内容 坐禅と写経とやすらぎのお話
いすに座ったままでできる坐禅と、「遺教経」の内容を、禅歴30年の経験豊富な講師が初心者にもわかるようにやさしく解説します。
日常を離れ、ほっと心にしみる安らぎのひとときを過ごせる講座です。
持ち物:鉛筆・ボールペン・筆ペン等々、筆記用具なら何でも可。 お申込み・お問い合わせ先 0120-86-2127
ご契約の有無に関わらず、ご参加いただけますので、ぜひ一度ご来店下さい。
皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
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